入院55日 ― 2006/12/01 23:27
父(89歳)入院55日
ソーシャルワーカーさんから回復期リハビリの病院待ち1,2ヶ月かかることと 療養に入ると癌の検診を受けられないなどの制限事項の連絡をメールで受ける
どっちにしても重たいな
病院に行ったが 父の主治医を捕まえられなかった
リハビリ出来る具合を聞きそびれてしまった。
また明日だ。時間は有限で 焦りだけが残る
すごく疲れる。精神戦になっている
本日は19:15頃に病院行くと弟が着替えなど持ってきてくれていた。非常に助かる。感謝している。こちらは気が滅入っているのだが兄弟が居るだけでこんなに楽になるとは思わなかった
本日の目的は ほとんど達成されなかった。メインは先に書いた。リハビリ受けられるかを聞くことだった
昨日の父のケツの痛みは解消されていたようだ(少しほっとする)
入院56日 ― 2006/12/02 21:53
父(89歳)
入院56日
15:00時頃行くとリハビリに行っていた。
リハビリに行ける程度回復している
ただし、病室(大部屋)で失態を私はしてしまった。
一昨日にケツが痛いと父が言うため
父がいない病室で医師に癌の事を聞いてしまった。
周りは 聞き耳立てたと思われる
父には、癌を告知してない
本日、火曜日に主治医に今後の事を聞くように取りはからってもらった
かかりつけの医者には、リハビリの医院に転院するまで今の病院で置いていただくように頼んでもらうことにした
さて、リハビリできるか、癌の進行も気になる
入院57日 ― 2006/12/03 22:41
父(89歳)入院57日
入院後初めて母を病院に連れて行った。父は 日曜日なのに主治医は居ないかとか、看護師の方に母を紹介、挨拶させたい様だった。わざわざ、その手の面倒なことをさせたくなかったので日曜日に連れて行ったのだが(正解だった)
弟も、母も 父の行っていることがわからない。2度目の造影剤後、言葉が聞き取りにくい、ろれつがまわっていない様だ。私にはかろうじて聞き取れるのだが、弟も、母もわからないという
何故なのだろう、
聞き取りたいから、それとも、倒れたときから長くつきあっているからなのか?
父は、威厳もしくは権威を見たい様で必要もなくナースコールをする。自分の非力さを母に見せているだけを気がつかない。いかに大切にされているかを誇示したいようだが
全く逆効果だ。自分が介護する人間がいないと寝返りも打てないと自ら主張している。どうもこのあたりが大正生まれの父のずれている所。これは権威に弱い男のサガかな?
それとも老害?自分が世界の中心にいると思いこんでいるか ?
少々悲しくなる所だ
結局、母は 1時間もしないうちに追い返されてしまった。父は 自分の弱っているところを母には見せたくなかった。(?)
これもジレンマで、父は 自分が癌と言うことをしらない。母は知っている、母は別れ際、何度も父の手をさすっていた。もし父が自分が癌であることを知り余命を考えた場合も同じ行動に出たかは 今後かな?
父が母に感謝するときは最後になるかもしれない、があまりにも悲しいことを考えることはここでやめにする。
1時間で帰されてしまったので、再度、病院に父を見舞いに行く元気は私にはなくなっていた。しかたなく 新宿の雑踏に身を任せにいった。
追記 ヨドバシのゲーム館をのぞくとWiiの緊急入荷があった様で時間つぶしに並んでしまった。父の入院でAV入力のテレビは居間にしかないのに買ってしまった。1時間程度並んだ。
入院日誌 外伝 病室変わる ― 2006/12/05 00:12
父(89歳)
病室が変わった。いままでの病棟が閉鎖されたので神経内科から消化器系の病気の人の大部屋に移った
病室が変わると雰囲気が違う。これまではカーテンが開けっ放しでオープンな感じがあったが 今度の部屋は 皆締め切っている方が多い。
いままでの神経内科は脳梗塞などの動きが不自由が多く、ナースコールうまくつかなかったりして お互い助け合ってきたのだが。今度は 消化器系なので動きはあまり問題がない
父の所はオープンな方が良いのだが 看護師の方 カーテンを閉めてしまう。
入院59日 ― 2006/12/05 22:18
父(89歳)入院59日
回復期リハビリの適用外になる、寝たっきりかな
主治医にあって現状を確認してきた。
肺ガン進展なし、進行はしているかもしれないが 微々たるもの
脳梗塞、安定期でなんともいえない
脳梗塞にからむ問題は 小便がまわりがおかしい。 膀胱がパンパンになるまでたまるが、本人は小便のだしたいの感覚が無いとの説明をうける
すこし おかしい、以前はすぐ尿意をもよおしでもしないのに看護師を呼ぶとの話が 看護師の人からあった。全く逆の説明を受ける。どちらにしても尿意と実際が結びついていないか出せないかが重要と思う。
珍しく主治医と意見が合ったのは癌の告知に関して 別に今言わなくても良いとの判断では一致した。(珍しい)
主治医側もソーシャルワーカー側から受け入れ拒否の話を聞いてる。病院選びには時間がかかることを認識はしている様だ
しかし、転院を早くしてくれ、ポロッと本音も聞こえてきた。経営的との言葉が出始めた。
父には 転院しないと駄目とのことは伝えた。深くは追求されなかった。
疑問は療養型を進められたが、ねたっきりは困るのと癌の定期診断をする方法を模索しないといけない。次の課題が出てきた
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